禅 心身脱落

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自然セラピーの目的は、「今を生きる」という境地を求めるのではなく、自然(自ずから然り)の力を借りて、「今を生きる」を求めて焦ってイライラしてる自己を消滅させることにある。

人間はもともと※¹仏性(仏の性質)を持ちそのままで仏であるというなら、なぜ、私たちは仏になるために修行をしないといけないのか。
鎌倉時代の曹洞宗の開祖道元はそう疑問に思った。

(この甕の浮草の描く模様に何か意味があるだろうか)

「人は何のために生きるのか」という人生の根本的な問いに対して、「それは子孫を残すためだ」と凝り固まっていた。

だが、心の学校の佐藤康行先生は祖先が残してくれた唯一のものはあなた自身だと説いているだけである。

子孫を残すことは生命体として重要なことで疑う余地はないが、これもまた人生に重たい意味をつけ、解釈を押し付けているのは自己である。

道元によると「○○のために」と考えるのではなく、生きているものはただ生きている、その事実(在る)から出発するのだそうだ。

禅宗の修行の代表たる座禅は、※²心身脱落(しんじんだつらく)のためで、自然セラピーの神髄もここにある。

道元は「心身脱落」「脱落、脱落…」と唱えることでただ、そこに在ること、そのままで居られる境地に溶け込んだのではないだろうか。

実際に道元は,「身心脱落」という言葉によって悟りの境地に達したとある。仏教の修行者は悟りを求めて修行すると思っているが道元は、「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己を消滅させることだと言っている。

自然セラピーの目的もまた、「今を生きる」という境地を求めるのではなく、自然(自ずから然り)の力を借りて「今を生きる」を求めている自己を消滅させることにある。

参考)
※¹仏性とは、すべての人が持っている、仏になれる生まれつきの性質、また、仏とは仏教の聖者、また、怒ること知らぬ慈悲(愛が)深い人のことです。

※²身心脱落とは一切のしがらみから自我意識を捨てて、心身ともにさっぱりした無我の境地を言う。一切を放下し、何の執着もない自由無碍の精神状態のこと。

哲学とは何か、「人間の理性、つまり言葉でもって、宇宙や人生といった人類普遍の真理を構築する営みである」

※では、宗教とは何か、「生老病死などによる苦しみや不安から逃れたいという願いを叶えてくれる絶対者の存在を信じ、畏敬の念を抱き、その教えに従おうとする心の持ちよう。または、それに関連して行われる儀礼的行為」

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