水のようにしなやかに、強く
渓流、滝、湧き水に氣を感じる、なので、森林とともに水の循環にとても興味があります。
また、国連のSDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)の期限まであと11年しか残されていません。
設定されている17目標のうち、6.安全な水とトイレを世界中に14.海の豊かさを守ろう、15.陸の豊かさを守ろう、と「水」は大いに関係しています。

地元 鳥取県奥大山でも「天然水の森」と名付け100年後を見据え間伐して森づくりをしています。
樹木が密集した森は、太陽の光が届かないため低木や下草が育ちません。そのため、地面がむき出しで硬くなり雨が染みわたりにくくなると地下水が減るのです。
老子は、水は「道」に近いと説いています。
”上善は水の如し”「水」はあらゆる動植物に恵みを与えながら、決して争うことなく、抗うことなく、誰もがみな嫌だと思う低いところに落ちてゆきます。
老子のいう理想的生き方、無為自然の在り方は、「柔弱」すなわち「水」のようにしなやかであることらしいです。
あるがまま、ないがまま、そのままを生きることでもあります。

「水」のように生きる、水のように柔軟で、かつ強力なものはないのです。水はどこを切っても絶え間なく、ある時は固体になり、液体になり、氣化して変幻自在です。
そして、永い年月をかけて点滴石を穿つように、「軍神に曰く、柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す(兵法の書にいう、柔らかいものはかえってかたいものを押さえつけ、ものはかえって強いものを押さえつける)」のです。
出典三略より

水のように、相手に応じて柔軟に姿を変え、定形をもたず変化せよということです。いま、必要なのは、「柔」と「剛」のメリハリとバランスなのです。
そして、この言葉からよく柔術や合気道を思い浮かべます。自分も水のようにしなやかに、強くなりたい、と思うのです。
混沌とした運動から天地が生まれた。その『混沌の運動』を「道」と呼んでいますが、それは何かが生まれる根源的な道筋秩序のことを指しています。
人は地に法り(のっと)、地は天に法り天は道に法り、道は自然に法る。
人間は大地の状況に応じて暮らしている。大地は、太陽や月の巡りや四季の変化などの天の活動によって恵みを得て植物や動物を育成させている。
さて、その天は、それを生み出した「道」に従っている。「道」は他からの何の影響も受けることなく、太古からそれ自体がそのようであるさま、あるがままである状態(=自然)に従っている。